つわり(重症悪阻)体験談の初めに―私の妊活歴などについて

生むまでつわり あやのつわり日記

私のつわり日記は妊娠5週からスタートし、スタート直後からネガティブな発言が度々出てきます。

お読みくださった方の中には、「つわりがどうのじゃなくて、この人、元から暗くて性格悪いだけの人なんじゃ?」とお感じになる方もいらっしゃると想像し(実際性格は我ながら微妙だと思っていますが)、それまでに私が辿っていた経緯について、お伝えしたいと思います。

妊活開始後すぐに妊娠するも・・・

私が妊活を開始したのは、第一子となる息子を妊娠する一年半前となります。
妊活をはじめて2ヶ月で、人生初の妊娠をしました。
しかし、この時の妊娠は、子宮外妊娠でした。

抗がん剤治療を2週間続けましたが苦しいだけで効果はでませんでした。
そんな中、妊娠の影響で大きくなってしまった卵巣の腫瘍が捻転、激痛に襲われました。結局手術で左卵管と左卵巣の一部を切除することとなりました。

その際、右卵管が潰れていることが発覚。左の卵管は切除されて無くなり、右卵管は金輪際機能しない状態ということで、自然妊娠が出来ない体になってしまいました。
私は、体外受精でしか子供を授かれない体となってしまったのです。

体外受精への葛藤

当時の私は、正直、心身共に負担が大きい上に高額である体外受精に挑んでまで子供を持つ、ということに、そこまでの情熱を持てずにいました。

ですが、私は専業主婦で、主人は一人っ子。主人も主人の両親も、結婚して子供・孫が出来る将来を当たり前に考えており、その考えを理解できる自分もいました。

当時31歳だった主人や、孫を心待ちにしている義両親に「体外受精は嫌だから子供はあきらめて」と言えませんでした。
それならば、「私とは別れて、子供がちゃんと産める奥さんを探して」と、自分が身を引くのが道理であると思えました。(個人の感想です)

しかしながら、主人と一生添い遂げたいと思っている私には、主人と別れるという選択はどうしても選べませんでした。そして、体外受精をする道を選びました。

こうして、手術後3ヶ月で、不妊治療を開始しました。

苦しかった体外受精

この不妊治療は、本当につらかったです。
毎日注射をしに病院へ通い、朝晩沢山の薬を飲みます。
薬が合わず、不妊治療中はずっと吐き気に悩まされました。
採卵の際は麻酔が全く効きませんでした。針で子宮内を十数回刺され、その激痛にショック死するかと思いました。

そして、これだけのことをして、100万円以上のお金をかけても、妊娠には至らず。
私は精神的にも追い込まれていきました。

約1年の不妊治療の末、金額的には200万円が見えてきたあたりで、やっと陽性となりました。

すでにボロボロだった私は、「ようやく不妊地獄の苦しみから解放されるかもしれない」という思いでいっぱいでした。

こういった経緯があり、妊娠6週目の時点ですでに、私の精神は摩耗しきっていました。

そこからの、悪阻十月十日地獄です。

そして悪阻解放後、今度は子供の3大食物アレルギーとアトピーと喘息と広汎性機能障害に悩まされるのです。

不幸だとは思っていないけれど、困難が多いと感じる毎日

踏んだり蹴ったりと思うのか、それとも子供を持てて良かった、五体満足で生まれて来てくれてよかったと思うのか。

今はまだ、明るく後者として捉えられない自分がいます。

とはいえ、自分の人生に絶望はしていません。

色々ありますが、感動することや、喜びを感じることだってある毎日です。

私に起こったこと、私が感じたことを赤裸々にを語ることで、誰かの励みとなったり、慰めになれれば幸いです。